まるめさんだー

さんだー

SNS があることで必要のない記憶が残ってしまう

 今の時代は覚えている必要のないことが思い出される機会が多い。LINEやTiwtterには10年近く連絡を取っていない人の名前が残っている。現実的に考えて彼らのことを頻繁に思い出す必要はないし、そのことで記憶の容量を食うのは無駄なことかもしれない。

もし学生時代が嫌な思い出ばかりだったとすれば、スマホでアプリを開くたび意識せずとも嫌な記憶が薄っすらと思い出されることになる。この弊害にたった今気がついて、何年も残っていたLINEの会話を殆ど非表示にした。

多くの人は多かれ少なかれ変わりたいと思う時があるだろうし、変わることは環境に適応して生きる上で大切なことだ。しかし、昔の記憶の中の自分との整合性を取ろうとして、変わることの足かせになる部分は少なからずあるはず。

それに、何となく寂しい気分になっているとき、声も思い出せないかつての友人のことを思い出すと、自分から人が離れていくような気分になってしまうこともある。それは単なる妄想に過ぎないのだけれど。

人間は忘れることで新しい思い出を増やすことができる生き物なのだから、できる限り不要な記憶は捨ててしまった方がいいだろう。昔よく行ったバッティングセンターの前を通りすがったときに、ふと懐かしい思い出がよぎるくらいでちょうど良いと思う。